Last Updated on 2026年8月10日 by oba3
暗号資産取引所バイビット(Bybit)は2026年8月7日、2025年2月に発生した約15億ドル規模の暗号資産盗難を巡り、北朝鮮、同国の偵察総局、ラザルス・グループ(Lazarus Group)を相手取って米国で民事訴訟を起こしたと発表した。米連邦裁判所は同時に、事件に関連すると特定された盗難資産について、移転や処分を禁じる予備的差止命令を出している。重要なのは、ハッキングの犯人を特定したことだけではない。ブロックチェーン分析で盗難資産を追跡し、取引所やカストディ事業者と連携しながら、裁判所命令によって資産を保存するという法的な回収経路が構築され始めた点にある。
何が起きたのか?
バイビットは米コロンビア特別区連邦地方裁判所に、朝鮮民主主義人民共和国、北朝鮮の情報機関である偵察総局、ラザルスを被告とする民事訴訟を提起した。米当局は2025年2月のバイビット事件について、北朝鮮に関連する攻撃者が約15億ドル相当の暗号資産を盗んだと判断している。
訴訟では、盗難資産を保有または移動している身元不明の個人や組織も、氏名不詳の被告として対象に含まれている。裁判所が出した予備的差止命令は、事件に関連すると特定された資産について、訴訟中の移転や処分を禁止するものだ。
ただし、命令が出たことで15億ドル全額が凍結されたわけではない。対象となるのは追跡によって特定され、命令の範囲に入った資産であり、すでに複数チェーンやサービスを経由して移動した資金まで自動的に回収されるものではない。
バイビットによると、2025年2月の事件以降、約4,840万ドル相当の盗難資産を回収した。また28を超える取引所やカストディ事業者で、約3,050万ドル超が凍結されているという。同社はブロックチェーン分析企業、取引所、カストディ企業、各国当局との連携を続けており、今回の民事訴訟をその延長線上に位置付けている。
なぜ重要なのか?
暗号資産の大型ハッキングでは、犯人のウォレットを特定できても、それだけで資金を取り戻せるわけではない。パブリックブロックチェーン上では資金の移動を追跡できる場合がある一方、秘密鍵を持つ攻撃者自身に返還を強制する仕組みは存在しない。
そこで重要になるのが、追跡した資産が取引所、カストディサービス、その他の管理主体へ到達した瞬間だ。事業者が資産を管理できる状態で法的命令が存在すれば、送金停止や凍結、将来的な返還手続きへつなげられる余地が生まれる。
今回のバイビットの対応は、技術的な追跡と司法手続きを一つの回収プロセスとして組み合わせた点に特徴がある。刑事捜査は米当局などが別途進める一方、被害企業自身も民事訴訟を通じ、盗難資産を動かさないための命令を裁判所へ求めることができる。
国家支援型とされる攻撃では、加害主体そのものから直接賠償を受けることは容易ではない。そのため実際の回収では、攻撃者本人への請求よりも、盗難資産が接触する金融サービスや管理主体をどこまで押さえられるかが重要になる。
市場構造への影響
これまで暗号資産の盗難対応では、ブロックチェーン分析会社がアドレスを追跡し、取引所へ自主的な凍結を依頼する方法が中心だった。今回のように裁判所の差止命令を組み合わせれば、単なる情報共有から法的な資産保存へ対応を進められる。
この変化は、暗号犯罪への対応主体を広げる。取引所だけでなく、カストディ企業、ステーブルコイン発行体、ブリッジ運営者、オンチェーン分析企業などが、盗難資産の経路上で重要な役割を持つ可能性がある。
特に攻撃者が資金洗浄のため多数のアドレスやチェーンを利用しても、最終的に大規模な交換や法定通貨への換金を行う段階では、一定の流動性拠点へ接続する必要がある。その地点で資産を特定し、法的命令を実際の凍結へ結び付けられるかが回収率を左右する。
一方、裁判所命令はパブリックブロックチェーンそのものを停止させるものではない。自己管理ウォレットにあり、命令へ従う管理主体が存在しない資産については、技術的に移転を止められない場合もある。法的回収インフラの実効性は、盗難資産がどのサービスと接触するかに依存する。
資金・規制・流動性との関係
今回の約15億ドル事件では、盗難後の資金が複数の暗号資産やブロックチェーンへ分散された。米連邦捜査局も事件後、攻撃者が盗難資産の一部をビットコインなどへ交換し、多数のアドレスへ移動させていると説明していた。
こうした資金を回収するには、アドレス追跡だけでなく時間も重要になる。盗難直後に取引所などで資産を止められれば回収余地は大きいが、ミキサーや分散型サービス、複数チェーンを経由して細分化されるほど追跡と法的執行は難しくなる。
バイビットが示した約4,840万ドルの回収額と約3,050万ドル超の凍結額は、15億ドルという被害総額に比べれば限定的だ。ただし、この数字は民事訴訟、ブロックチェーン分析、民間企業の協力を組み合わせることで、盗難後にも一定の資産を保存できることを示している。
今後重要になるのは、各国の裁判所命令を国外の取引所やカストディ事業者がどこまで実務上受け入れるかだ。暗号資産は国境を越えて移動する一方、裁判所の権限や資産凍結の手続きは国ごとに異なる。国家支援型攻撃への回収体制を強化するには、技術的な追跡だけでなく司法管轄をまたぐ協力が必要になる。
初心者向け補足
予備的差止命令とは、裁判の最終判断が出る前に、対象となる資産が移動したり処分されたりすることを防ぐため裁判所が出す命令だ。今回の場合、盗難資産として特定された一部の暗号資産を訴訟中に動かさないようにする目的がある。
ただし、裁判所が命令を出したからといって、ブロックチェーン上のすべてのウォレットを技術的に停止できるわけではない。暗号資産が中央管理型取引所やカストディ企業などの管理下にあれば、その事業者が命令に応じて凍結できる場合がある。一方、攻撃者が秘密鍵を直接管理しているウォレットでは事情が異なる。
そのため暗号資産の回収では、盗難資産のアドレスを特定する技術、資金の移動先を追う分析、資産を管理する企業との連携、裁判所による法的命令という複数の仕組みを組み合わせる必要がある。
Web3Timesの視点
Web3Timesが今回見るのは、ラザルスが2025年にバイビットを攻撃したという既知の事実ではない。焦点は、盗難が発生した後に資産をどう取り戻すかというインフラが整い始めていることだ。
これまで暗号資産のセキュリティ議論は、ハッキングを防げるかどうかに集中しやすかった。しかし完全に侵入を防ぐことが難しい以上、盗難発生後に資産をどれだけ早く追跡し、換金経路を特定し、法的に保存できるかも安全性の一部になる。
今回の訴訟が示したのは、ブロックチェーン分析だけでも、民事訴訟だけでも回収は完結しないということだ。オンチェーンで資産を見つけ、裁判所で凍結命令を取り、その命令を実際に資産を管理している取引所やカストディ企業へ接続して初めて、回収の可能性が生まれる。
今後追うべきなのは訴訟の勝敗だけではない。凍結対象となる資産がどこまで増えるのか、現在凍結されている約3,050万ドル超が実際の返還へ進むのか、国外の事業者にも司法手続きがどこまで届くのかが重要になる。国家支援型の暗号犯罪に対する次の防御線は、侵入を防ぐ技術だけではなく、盗難後の資産を追跡し、止め、返還するための法的回収インフラに広がっている。
